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心配しすぎないこと・子どもの可能性をあきらめないこと
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親は子どもを支えるサポーター

保護者の方がお子様の成績を気にしたり、将来の心配をするのは、親として当然のこと。

ですが、もし「学習に行き詰まっている」と感じたら、できないことを指摘するのではなく、お子様が安心して楽しく学校生活が過ごせることを何より大切にしてください。

学校では「できないこと」に対する大きなストレスがかかります。お子様が笑顔でいることは、決して当たり前のことではありません。

学校でも、家庭でも自分の居場所がなくなったり、自信がなくなっていくにつれ、笑顔が消え、つらそうな様子をする日が増えていきます。

ただでさえ、苦手なことをがんばっているのです。

保護者の方には、「すごくがんばっている」姿を支え、笑顔でいてほしいと願います。​

 

お子様の素質や才能や能力は、学校のテストで評価されるものではありません。

わずか人生の9年~12年、大学までは16年ほどしか通わない学校に、我が子の未来を決定させる力はありませんし、決定させてもいけません。

これからの未来は、今の子どもたちがつくるものです。

保護者の方には、ゆったりとした気持ちで、お子様の内面を信じて見守っていてください。

​私は、保護者の方のサポーターになりたいと、心から願っています。

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お母さん、お父さんが不安になって叱っても、良いことは一つもない

実は、私自身の子どもに発達障害があると知ったのは、子どもが1年生のときです。

小学校に入ってから、漢字は覚えられない、算数は桁の感覚がわからない、忘れ物は多く、集中力が欠けて空気が読めないなど、小学校に入るまでは気づかなかった子どもの一面に、親として、どう接すれば良いのかわからず、不安になって子どもを叱ったり、一緒に勉強をして「なぜ、できないのか」と悩みました。

そのときに一番心強かったのは「親の会」や研修会などで会う先生方の声で、「それくらい大丈夫!」「子どもは変わる」といった励ましの言葉です。

「お母さん、お父さんが不安になって叱っても、良いことは一つもないよ」とも言われました。

当時は、目の前の我が子しか見えていませんでしたが、その後の子どもの変化を目の当たりにしていくだけでなく、指導している子どもたちが当初は「この子はきっと、高校にすらいけないのではないか」という保護者や学校の予想をはるかに超えて進学し、その後大学に入学していく姿を見続けることになりました。

●小学校3年生のときから不登校だったAくんが、高専で好きな工学を学んでいる。

●小学1年生で右と左の区別すらつけられなかったBくんが、大学生になって英語で話し、海外に友だちもいる。

●小学4年生でひらがなの逐次読みだったCくんが、私立の高校に合格した。

私は指導者として関わってきましたが、お子様が伸びていった保護者には共通点がありました。

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お子様が伸びていった保護者の共通点

ひとつは、英語の成績が悪いことを重く受け止めすぎない。

中高の英語の評価は、本来身につけたい「英語力」の一部にしかすぎません。

子どもが社会に出て、将来の進路選択時にツールとして生かせる「英語力」は

単語テストや定期テストでは決定しません。

目の前のテストの点数についつい目が行きがちですが、

勝負は「いま」ではありません。

子どもの3年後、6年後、10年後に「英語が好き」「英語が使える」という長期的な視点を持たなければ、

単語テストの結果が悪いというだけで子どもが潰れてしまいます。

それでは本末転倒です。

言葉の学びには、一つのルートしかないわけではありません。

 

学校で教えている指導法に合わない場合は、別ルートから登っていけばいいのです。

 

そして、それがすぐに評価につながらないことを焦ってはいけません。

 

親が焦ると子どもが焦り、自信を失っていきます。

「子どもの可能性をあきらめない」こと。

 

英語は長距離マラソンなのです。いますぐ結果を求めず、着実に「身につける」ことを目指しましょう!

成績は悪いかもしれない。漢字や計算が苦手かもしれない。でも、長い人生のうち、「同じ学び方」でテストを受け、その評価に強く左右されるのは高校生までです。大学になれば、様々な選択肢が増えます。

​そして、大学を卒業した後は、その子どもが持てる力を生かして生きていかねばなりません。

保護者として子どもにできることは、学校が終わってからの長い年月を生き抜く力を育てること、愛と信頼を教えること、個性を大切にし、自分は大丈夫だという自信をつけることだと私は思っています。​

​企業や国も、これからの人生を保障してくれるわけではありません。強く、自立した人が、これからの時代には求められています。

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